青海省でチベット人歌手、テレビ関係者、教師らが行方不明
3月末から4月にかけて、青海省で活躍しているチベット人アーティスト、教師ら少なくとも6人が当局に連行されて行方がわからなくなっている。
まず3月31日、ゴロク(青海省果洛チベット族自治州)のミュージシャンら5人が、そして、4月1日、人気歌手ジャムヤン・キが連行された。
チベット人作家ウーセル(唯色)のブログ『看不見的西蔵』から各人のプロフィールを抄録する。
■ダペ(達貝)別名ダワタル(達瓦塔)/
著名なミュージシャン。2003年3月、チベット民族舞踊とともにチベット語や中国語なども教える芸術団を政府の許可を得て設立。↓で創作漫才みたいなのが見られる。
http://www.tibet3.com/chinese/shis/content/2007-02/02/content_196337.htm
■ドルマ・キ(卓瑪吉)/
歌手。上記芸術団のメンバー。独自の芸術団を設立し舞台俳優を育成。
■ペルチェン・キャプ(巴千恰)/
教育支援団体の責任者。
海外NGOの援助も受け、遊牧民地区の識字率向上のため教師を派遣するなどの活動をしていた。
■ルンドゥプ(恒周、倫珠)/
アーティスト。上記教育支援団体でも活躍し、教育や女性の地位向上の大切さを歌で伝えている。(写真なし)
■ジャムヤン・キ(加羊吉)/
著名な歌手(チベット語の歌謡曲)。『香巴拉』(シャンバラ)、『黒帳逢』(黒テント)、『遠方的情人』(遠くの恋人)、『縁分』(カルマ)など作品多数。
近年は青海テレビ局(青海電視台)でチベット語番組の制作に携わる。
2006年に訪米し、亡命チベット人ミュージシャンらと共演。
女性や子どもの権利についての執筆活動でも知られている。
4月1日に青海省公安当局に拘束されたと報道された。
★第一報を伝えた記事“Leading Tibetan Writer, Performer, Producer Arrested”(Radio Free Asia)
★ジャムヤン・キのブログ(チベット語、1月20日で更新が止まっている)→http://www.tibetabc.cn/user1/jamyangkyi/index.html
★ジャムヤン・キPV(khyed dang nga/あなたと私)↓
TrackBack
TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/25242/40959036
Listed below are links to weblogs that reference 青海省でチベット人歌手、テレビ関係者、教師らが行方不明:
» 青海省でチベット人歌手、テレビ関係者、教師らが行方不明 [チベット最新情報☆]
ブログ「チベット式」更新しました↓ 青海省でチベット人歌手、テレビ関係者、教師らが行方不明 http://tibet.cocolog-nifty.com/blog_tibet/2008/04/post_07a7.html [Read More]
Tracked on 2008.04.22 at 15:29

Comments
本質ではないのですが....
ジャムヤン・キのブログのURLリンクが、
「チベット式」になっているのは、ただの間違いですよね。
最初クリックした時に「チベット式」が表示され、
ブログが表示規制され、リファラURLにリダイレクトされたかと、驚きました。
リンクを修正した場合は、このコメントは消して下さい(面倒なら、そのままでかまいません)。
では、また
Posted by: たけだ@さっぽろ | 2008.04.22 at 19:36
たけだ@さっぽろさん、ご指摘ありがとうございました!
単なるミスです。修正しました。
中国の陰謀ではありません^-^;
Posted by: 長田 | 2008.04.23 at 01:24
チベット問題はそもそもイギリスの植民地政策に端を発している。今世紀はじめの五十年間、イギリス人は武力と金の力にものを言わせてチベットの上流階層に親英派をつくり、彼らをそそのかしてチベット独立運動をひき起こさせた。1914年、十三世ダライの代表シェー・ダワとイギリス代表マクマホンは悪名高いシムラ条約とその二項からなる付加協定に調印したが、中国歴代政府はいずれも承認してはいない。
これらの条約によれば、イギリス領インドは9万平方キロ以上に及ぶ中国の領土(チベットを指す)を併合し、イギリスとインドの商人は十三世ダライの管轄下にあるチベット(ほぼ現在のチベット自治区に相当する)で関税その他各種の税、及び治外法権等の特権を得ることになる。イギリス領インド当局はさらにチベットの多くの通商拠点をその支配下におさめた。十三世ダライはイギリスがチベットの独立を援助してくれることを期待していたが、その結果チベットはイギリスの“植民地”と成り下がったのである。これこそなによりの皮肉というものであろう。
1950年に中共がチャムドへ向けて進軍すると、独立を自称するチベットのカシャ(訳注:旧チベットにおける内閣)政府は国連に“中国に侵略をやめさせる”よう呼びかけたが、イギリス、インド、アメリカの代表はみな国連がこの件を取り上げるのに反対し、国連総会はその旨決定したのであった。現ダライは“十七条協定”を受けいれる他なく、中国のチベットに対する主権を認めたのである。(ついでながら、97年4月17日、アメリカの註中国大使がチベットを訪れたとき、「アメリカは孫中山の時代以来チベットが中国の分かち得ない一部であることを認めている」と語った。
十七条協定によれば、チベット(現自治区)は政教一致体制、農奴制及びダライ、パンチェンの権力、チベットの国防については従来どおりとし、外交は中国政府が担当し、内政はダライとその内閣“カシャ”が管理するというもので、実際にはまさしく“一国二制度”であった。一国二制度は鄧小平の発明ではなく毛沢東が考え出したものなのである。
しかしながら、常に農奴制の排除をめざし無神論と階級闘争でチベットを改造しようとした毛沢東の試みは、1959年の事件を招くことになる。ダライも後に、チベットの旧来の社会制度はヨーロッパ中世の封建制度に類似したもので、すでに時代後れであると認めている。さりながらチベットの農奴制はチベット人自身が取り除くべきものであって、毛沢東がでしゃばるべき問題ではなかった。動乱が平定され民主改革から文化大革命に至るまで、毛沢東は多くのチベット人を迫害し多くの寺院を破壊して、漢族とチベット族の対立を激化させ、ダライと多くのチベット人たちを追いやり、国際社会の注目と批判を浴びることになった。チベット問題はこうして国際政治の場で関心を集めるようになったのである。
1980年から鄧小平はチベットで福利政策を始めた。その主な内容は次のようなものである。「政治的宗教的な原因で迫害を受けたチベット人の名誉回復、並びにもとチベット上流階級(農奴主、役人、活仏)に高官級の俸禄と各種特権を与える」。かつての大農奴主はいまやチベット自治区の副主席であり、1959年に反乱軍の副司令官だったラル・ツェはチベット政治協商会の副主席である。「人民公社の土地をチベット農牧民に分配し自由経営に任せ、農牧税、工商税及び郷鎮企業税を徴収せず、農作物の売買基準も設けない。さらに農牧民を含む全チベット人の公費、医療及び教育費を支給する」、これは中国のどの民族にもない特例であった。また大勢の漢族幹部と漢族職員及び労働者を引き上げさせ、チベット族に取って代わらせた。
いまやチベットの85パーセントの政府役人はすでにチベット族で占められている。宗教の自由は回復され、政府の出資で千七百あまりの寺院が修復され、46,000人以上の僧尼たちが養われており、彼らの医療費は公費でまかなわれているのだ。ダライ・ラマも「チベット人はすでに寺院への参拝を許されている」と認めないわけにはいかなかった。チベットの民族混合学校では漢語とチベット語が教えられ、各種政府機関及び様々なニュースメディアもまた漢語、チベット語二種類の言語を使用する制度が採用されており、チベットの文化遺産を収集、整理、研究し広める多くの専門機関が設立されている。
巨費を投じてチベット人の生活レベルを高めた結果、いまやチベット族市民の平均収入は全中国市民のそれを上回っており、ラサ市民の生活レベルは北京市民の生活レベルにも劣らないものとなり、一人当たりの平均住宅面積は全国でも第一位(市民15平米、農民20平米)である。アメリカのチベット学者ゴールドスタイン(Goldstein)教授はチベットを訪れた後次のように語っている:「ラサは田舎と言ってもチベット人たちの物質面での生活レベルは驚くほど向上していた。ラサ市民はいまや政治運動に関わりさえしなければ自由に行動できるし、友人たちと会ったり、ラマ僧を家に招いて法事を行ったり、お客を自分たちの家に招くことなどもできる」。
チベット人たちの生活レベルが大幅に向上したにもかかわらず、80年代の末、チベットでは大規模な独立要求デモが三回も勃発しており、参加者の動機は一様ではなかった。一部のチベット族共産党幹部たちは密にデモを扇動し、そうすることで中共の漢族幹部引き上げとチベット族幹部の採用をさらに早めさせようとしたのである。多くのチベット族職員たちがデモに参加したのは、中共に給料、ポスト、住宅といった労働条件の向上を迫るためであり、求職状態にある若者たちは中共に保証された仕事を求めたのであった。給料、ポスト、住宅、物価、就職といった様々な問題で政府に不満を抱いていた人々はデモに参加することでうっぷん晴らしをし、処罰された経験のある刑事犯たちはこの機に復習を図った。僧尼たちの宗教意識はとくに強烈なもので、とりわけ仏を信仰しない漢人たちへの憎しみは深く、ダライ時代の政教一致神権制度に特別の憧れを抱いており(その時代、僧職にあった者は多くの政治的経済的特権をもっていた。政教分離を実施している中共で政教一致神権制度を復帰させるのは不可能なことである)、デモになるといつもその先鋒に立つのであった。面白いことに、チベット人口の85パーセントを占める農牧民たちはダライに対して最大の敬虔を示しながらも、ほとんどデモに参加していなかったのである。というのも彼らがデモに参加しても何の益も得られなかったからだ。
デモには毎回暴力がつきもので、これはダライ自身も認めざるを得なかった(詳しくは1993年5月25日付ダライの声明を参照。彼はその声明の中で中共がデモを追い散らしたことを批判しながらも、デモ参加者が漢族の個人経営商店を襲ったことに遺憾の意を表明している)。デモ参加者たちが暴力に訴えたことは中共に鎮圧の口実を与えることになった。毎回鎮圧後、中共はチベット人たちに給料、ポスト、住宅の便宜をはかってやり、こうして“デモ―暴力―鎮圧―給与のアップと住宅提供―再びデモ”という悪循環が出現した。鄧小平の福利政策はかくして“飴と鞭”政策へと変貌していったのである。
もう一つの問題はいわゆる移民ブームである。現在のところチベットの戸籍を持つ漢人は総数でも全体の2パーセント程度である。彼らの大部分は科学者、エンジニア、経済師(経済担当の幹部)、教師、医師、農芸師(農業技術者の職階の一つ)、獣医、技術職員、文化活動に従事する者であり、彼らの知識と技術がなければチベット人には現代物質文明は手の届かないものであった。
1994年から中共は33億元を投じてチベットに六十二のプロジェクト(その中の一つは、一本の河川を二つの支流に分ける工事で、チベットの農牧生産量と農牧民の収入を高めることを目的としている)を興し、これが内地の大勢の技術者や民間の職人、小規模な商売に携わる人々をチベットに引き寄せることになった。彼らはチベットに戸籍を移すわけではなくチベットに定住する気もなかったのであるが、プロジェクトが完成しても金の無い者は儲けてから立ち去らねばならない。ダライはそういった人々をもみな移民と呼んでいるが、それは中国に商売に来ている欧米人や日本人をみな移民と呼ぶほどでたらめなことなのである。
ではチベット自治区を独立させることはできるのだろうか? 自治区には六万人のチベット族共産党員と五万人のチベット族幹部、それに彼らの家族がおり、チベット族人口の2パーセント、都市部住民の半数を占めている。彼らはもちろん共産主義なぞ信奉してはいないが、中共から与えられる権力と特権をダライ・ラマ以上に崇拝しているのだ。もしチベットが独立すれば彼らはその権力と特権を失うのであるから、反抗して立ち上がるだろう。彼らが無学無能で退廃した生活を送り、仕事にはずぶの素人であろうとも、階級闘争にかけてはプロの腕前なのだ。これは中共に教わった“奥の手”なのである! 彼らは、自分たちの既得権益を守るために五万人規模の軍隊を組織することもできるのだ。かつての農奴主で今や中共の“統一戦線人士”たちは彼らを支持するだろう。そうなればチベット族内戦の火蓋が切って落されるのだ。1950年のチャムド戦役で中共に投降したチベット軍第九師団の師団長デルゲは、1959年には部隊を率いて叛乱軍の鎮圧にあたった(80年代にはチベット自治区人民代表常務委員会副主任に昇格するが、まもなく病没した)。80年代末にチベット族共産党幹部、武装警察、兵士たちが独立要求デモを鎮圧したときにもいささかの手加減も加えなかったのであるから、ダライがチベット族共産党幹部を抑えられるかどうかいささか疑問である。
中国政府はチベット自治区に毎年15億元を財政援助しており、大部分はチベット人たちに給料として与えられるものだ。もしチベットが独立すれば、十数万にのぼるチベット族職員たちが後ろ盾を失い、彼らはダライに生活の糧を求めることになるだろう。彼らに従来の待遇を与える財力がないなら、彼らはダライに対して抗議デモを起こすにちがいない。チベット農牧民たちはすでに十七年間税金を納めていないが、ダライは何度も、チベットが独立すれば税金を徴収しなければならない、と言っている。チベット農牧民たちがどんなに敬虔でも、甘んじて税金を納めるとは限らない。徴税できなければ、ダライはどうやってその政府と軍隊を養うのだろうか? 外国の援助はあてにはならない(ソ連、東欧が民主化した後、西側はどれほどの援助をしてくれたか?)。財政収入がなければ、独立はただの夢物語なのである。
Posted by: ぱんだ@とうきょう | 2008.04.23 at 10:34
↑ご苦労さまです。m(_ _)m まるで日本人が書いたような流暢な文章になっていますね。 翻訳の成績は花丸ですが、本質を「考える」力を伸ばましょう。
Posted by: すごい | 2008.04.24 at 00:25
友人からの伝言より
さばく化の進む高原に、
ぼく等は、捨て置かれる。
みすぼらしい、ぼく等には、
なんの人権の保障もない。
一部の戸籍を持つものの実が栄え
ぼくらは、居場所を失う。
戸籍さえ与えられず、
ヤクやひつじを飼ってはいけない法律で、
ぼくらをさらに、縛り上げる。
金は、北京からの移住者の手に渡り、
戸籍をもたない、もつ事も出来ない、
我々は、さばく化の進んだ高原に、
捨てておかれる。
ぼくらは、声を上げることさえ許されず、
政府の弾圧に抑圧される。
Posted by: カルマ | 2008.04.25 at 11:38
サイトの掲示板が、げい下への悪口で、
埋まっていたから、反論したら、
「あんたなに人?」
といわれた。
かなしい。
Posted by: カルマ | 2008.04.25 at 11:40
中国からの書き込みでしょうか。
I Lave TIBETの掲示板、
げい下への悪口やチベット人への中傷もめだちます。
チベット人や、日本人が、げい下支持の書き込みを入ったら、噛まれそうです。
なんとかなりませんか。
Posted by: カルマ | 2008.04.28 at 09:52
>カルマら
お目を汚してしまい心苦しいですが、
放っておくのが一番だと思います。
ああいう場所で対話は成り立ちません。
特定の種類の発言だけ削除したりといった作業や
それを判断するのに悩んでいる時間も惜しいですし、
書き逃げしていく暇な人たちの相手をするより、
他にすべきことがたくさんあると思っています。
ギャの皆さんと直接話す機会は、あちらに行けばイヤになるほどあるわけで、せっかく日本にいるのだから、日本でできることをやろうと思っています。
Posted by: dagpo | 2008.04.28 at 18:59
たいへん失礼致しました。
以後、気をつけます。
お手を煩わしました事、お詫びいたします。ごめんなさい。
Posted by: カルマ | 2008.05.04 at 14:19
敬具。
管理人さんへ
でも、クリスチーナ・チャン女史のいかがわしいサイトにつながる書き込みは、・・・。
消しておいてください。
(日本人の人種としての品格が悪くなる。)
Posted by: カルマ | 2008.05.09 at 08:07
削除してくれて、ありがとう。
ご迷惑お掛けします。
すみません。
Posted by: カルマ | 2008.05.13 at 10:32
ジャムヤン・キのブログが、
2008-6-26 23:07:00 に
by jamyangkyi
で、書き込まれていますね。
読めないので内容は判りません....。
Posted by: たけだ@さっぽろ | 2008.07.03 at 22:34